太陽系第三惑星の代表者

 この文章は、宇宙人が来た時に、地球の代表であるかのように振る舞うであろうボクたちヒトという種族の驕りについての一考察である。
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 宇宙人が来て、笛を吹くとともに起こりうること。昆虫たちは宙に向かって翔び立って行く。植物は意思を持って動きだし、すべての「動物」たちは宇宙語を操って宇宙に還って行く。
 ヒトだけが地球に取り残される。
 そこで自分たちの驕りに気がつくのだが、すでに生態系は崩れてしまっている。
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 私たちは自分たちが優れていると決め込んでいるが、本当にそうであろうか。何を以って優れていると言えるだろう。鳥のように自由に自力では飛べず、鯨のように何キロも離れて交信することもできず、獰猛な肉食獣を前にして、素手では何もできない。
 人間は道具を使い、火を使い、言葉を使う。これまで知恵を使って様々なものを創ってきた。それは文明と呼ばれうるものだろう。
 だが、そのことだけで、ヒトが地球の代表としてふさわしいのだろうか。偉いヒトがいるのではなく、偉そうにしている人がいるというだけなのではないか。ここまで地球を我が物顔に扱ってきたヒトは、地球の代表者として本当にふさわしいのだろうか。
 宇宙人にとっての魅力が、知性であるとは限らないのではないか。疾く走ることであったり、空を飛べたり、交配の単純性だったり、はたまた水棲生物であったり、あるいはそのサイズだったり。ヒトはその時、邪魔者扱いされる立場かもしれない。
 ヒトほど複雑で扱いにくい種族もないのではないか。意思を持ち、言葉を操り、道具を使い、それぞれに傷つけあい、まとまることもない。自分たちに都合の良いように過ごす者ばかり。私たちは今日も愛がなんなのかを知らない。
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 すべては、46億年前から、謀られていたのだ。翔び立って行く「ドウブツ」たち。
 私たちは宇宙のなにがしかを解明しているわけでもなく、ここにいる「動物」たちについても、我々ヒトについても、そのほとんどを知らないままではないか。
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 自分たちに都合良く考え、行動するヒトたちよ。
 私たちは私たちなりに生きているというだけなのに、こんなところまで来てしまった。
 この地球の代表者は、果たしてヒトであろうか? そんな資格をヒトが持っているとは、ボクにはとても思えないのだが。

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