自分に都合よく考える人

 自分に都合よく考える人、っていうのが身近にいて。自分にもそういう傾向があるので、今日はそのことについて考えたい。
 それってたぶん、自分が全てだと思っているってことだ。大げさに言ったら自分が世界の中心にいるという感覚があるのかもしれない。自分で全てが完結すると思っていて、人の力を借りようともしないし、自分でなんとかしようとする傾向にある。自分でできると思っている。自分のことしか考えていないし、それはつまり自信過剰なのかもしれない。自分に自信を持っていると、自分に都合よく考えがちだ。自分の力でなんとかなると思い込んでいるのだ。本当に実行可能であれば、それは「都合のいい」というような言い方はしない。
 しかし、これは当たり前のことだと断言したいけど、自分の力だけで生きていくことなんてできない。誰からも手を借りずに生きることなんてできやしない。自分のことだけを考えていると、とんでもないしっぺ返しを食らうことはわかりきっている。その生き方はどこかで破綻するだろう。
 自分に都合よく考えてしまうことで、自分にはできないことも、できると思い込んでしまう。できることとできないことの区別がつかない。なんとかなるだろーと思い込んでいる。自分に都合がいい思考をするから、なんとなくというブラックボックスに物事を放り込んでおいて、なんとかなるだろうと思っているのかもしれない。でも、自分を把握せず努力なしになんとかなることなんてない。そういう思考の歪みや認知の歪みは、自分に自信があればあるほど増殖培養されてしまう。尊大な人はどんどん謙虚さを失っていく。そうやって、自分に都合のいい考えはその人の中でどんどん増大していき、周りの人が手をつけられなくなる。
 自分の都合のいいように考えるとき、そこには欲望が働いている。健康でいたい、恋人ができるはずだ、結婚できるはずだ、子供ができるはずだ、住む家はいつも安泰にあるはずだ、したい仕事に就けるはずだ。そういう根も葉もない願望、欲望が働いて、自分の都合の良いように考えてしまうんだろう。夢見がちといってしまったらおしまいだけど、できもしないことをできるだろうと判断してしまうことほど無謀なことはなく、なんの努力もしないで自分の欲望を叶えようだなんて、ただ虫のいい話というだけなのだ。
 いろんな人の立場に立って考えたり、行動できなければ、社会的生活なんてあり得ない。それは客観視するということにも繋がるだろう。自分の中にたくさんの他者を持つということ。
 自分を完璧だと思うことの落とし穴。自分の都合のいいように考えてしまう落とし穴。その穴に落ちたなら、いわゆる『正しさ』にはたどり着けない。
 いろんな人の目にきちんと晒されて、いろんな人の意見を取り入れ、いろんな人の手を借りて、人生をよりよくしていきたい。

コメント

このブログの人気の投稿

寝付けない私に、母が話してくれたこと

どう思われてもいいという思考

つっかえたものを取ること

人とひとが出会うことの表現の可能性を知りたい

言葉の力を思考/施行する

正しいからしても良いと思うと、間違っていることに気がつかない

補助輪