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人恋しくなって狂う

 一人っ子は往々にして甘えるのが下手であるか、図々しいほど人に甘えるか、どちらかであると思う。下手な人は、しっかりしてしまうので、どうやって人に甘えていいのかわからないのだ。なんでも自分でやろうとしてしまうし、人に頼るということをしない、できない。どちらにせよ甘えている、という言い方もできるのだけど、表面的に取り繕う分だけ厄介かもしれない。  彼も人に甘えることが下手な人間の一人だ。そう自覚はしていないが、さまざまな不具合を見てとるにそうであると私は確信している。人との関わりが深すぎたり、浅すぎたり、うまく距離感を掴めない感じがすごくする。変に厚かましかったり、他人行儀すぎたり、甘えるべきところで距離をとったり、あるいは自分ですべき時に人に頼ったりしている。そうするべき時を判断できないでいるようだ。  そういう人間は人に変に気を使わせてしまう。人に迷惑をかけると言ってもいい。私はそう思う。彼といることは楽しいことでもあるが、どこか変な人間である。一緒にいて楽しいと思うのは愛着があるというだけに過ぎないのかもしれない。  自分と人との状況、心持ち、関係性を計るのが下手なのだ。そうするべき時にそうできず、そうしなくていい時にそうしてしまう。うまく行くときもあれば、そうでないときもある。ほとんど当てずっぽうでやっているか、自分の思うままにやっているということなのだろう。それでは、人間関係はうまくいかないだろう。  案の定、彼は孤立している。うまくいっていない。フォローするものの、うまくいってない。自分をどう捉えるのか、人をどう捉えるのか、に不備があるように思う。完全に孤立している。このままでは何もかもが上手くいかなくなるだろう。何か手を打たなくてはならないが、人間としての根本に足を踏み入れることになるだろう。そう容易くはないし、誰にでもできることではない。  人恋しくなればなるほど自分と人との距離を測れず、どんどんおかしくなる。絡まった毛糸を解くことができればいいのだが、余計にこんがらがっていく。  人と人の関係は距離なのだろうか。もっと根本に相性とか、気が合うとか、思想とか、慣れとか、いろんなことが絡み合っている。それを解くというか解することができなければ、人付き合いは難しいかもしれない。合う人とは会った瞬間から何かあると感じるものかもしれない

真夏の夜の散歩 同居人

 ──AM3:30。今日も二人は深夜の散歩をしている。相変わらずの彼女たちらしい。  「この間ちゅーした人」「うん?」「うん」「なにさー、ほれほれ~」「好きになった。完全に」「……そうなんだー」「笑うよねー」「ふーん」  ──同居人に秘密を言うと、あたしはなんだか小っ恥ずかしくなる。こんな話を人にするのは初めてだ。女子らしく、普通の女の子らしくできているんだろうか。  「そうなんだー。あのさ」「なに?」「わたし、家でようと思ってんだけど」「え? なんで?」「彼氏出来た」「ナニー!!」  ──同居人はわたしがモヤモヤしている間に、同居人でなくなろうとしている。人は簡単に恋に落ちるし、簡単に住まいを変えることができる。それは良いことだし、あたしだって彼女を応援したいと思ってる。  「……そうなんだー。へー」「だから年内に出てくから。考えといてね」「エー、そうなんだー、えー」「えへへ。あんたも頑張んなさいよー」「余計なお世話だよー、くそー」  ──あたしは池に着くと、サンダルをすっ飛ばして膝まで池に入った。池の底はヌメッとしてる。あたしはこの想いをあなたや彼に救って欲しいと願ってる。この気持ちをどうしたらいいのかわからないのだ。あたしが彼を好きなことが彼には関係ないように、彼女がこの家を去ることも彼女にはきっと関係がない。だけど……。  「あのさ、あたし一人で暮らすよ。ここに」「そう」「離れるの、惜しいよ。池もあるしさ。たまには遊びに来てよ」「うん、来るよ。家が二つみたいになったら楽しいかも。さっこが居てくれたら、良いね」「うん」「またこうやってわたしは起きてて、さっこは起きて来て、散歩したいね。」「そうだね」「じゃあ、ベッドだけ置いてくわ。また来られるように」「いいねー」  ──救って欲しいと願ってた気持ちをなんとかしたのは、他ならぬあたし自身だ。人に何かを求めたって、いつもその通りになるってわけじゃない。自分で自分をなんとかしながら、あたしたちはきっと生きてくんだ。きっとそうなんだ。そう思えたら、いろんな人とうまくやってける気がした。  参照 真夏の夜の散歩 https://otona-to-kodomo.blogspot.com/2017/08/blog-post_23.html

不確かな情報を拡散するということ

 『マンモスを食うと死ぬらしい』。まことしやかな噂が流れてきた。私たち一族は、狩をして暮らしている。マンモスは今までにも何匹も狩って食っている。そうしないと我々は生きていけないからだ。これからもマンモスを狩っていくつもりだった。  その噂はたまたま会った見知らぬ一族から聞いた話だ。彼らがなにを考えてそういう『噂』を流すのかわからないが、何か意図があるのかもしれない。もしかしたら、本当に食うと死んでしまうマンモスというのがいるのかもしれない。私たちの一族は混乱している。マンモスを狩るべきだろうか。  この情報を得た経緯をもう一度洗いたいと思う。本当なのだろうか。確かな情報なのだろうか。マンモスを狩らなければ、私たちは食うのに困るだろう。そうすることでこの地域のマンモスは、他の部族のものになるかもしれない。その噂によって得をする人間がいるということだ。  情報を流す人間にとってその媒介となる人間は都合がいいものだ。自分が情報源であることがあやふやになる。それによってさらに混乱させ、自分に罪が及ぶ可能性も下がるだろう。なるべく多くの部族を間に挟んで、たくさんの人間にマンモス狩りをやめさせることができたら、大きな益を得ることができるだろう。なるべく多くの人間を騙すのだ。そのためには確か『らしい』情報を混ぜる。ある部族のタロウはマンモスを食った途端に泡を吹いて倒れた、『らしい』。  過激であればあるほど、情報は遠くまで広く伝わるだろう。どの地域に行ってもマンモスを狩ることが容易になるかもしれない。裏を知っている人間は少ない方がいい。どんどん偽の情報を確からしいものにしてリツイート、じゃなかった拡散していけばいい。  「待て、自分たちで判断しようのないことなら拡散するべきでない。それは自分たちで検証してから他の部族に伝えるべきだ。嘘であると見抜く根拠がないなら拡散するべきでない。脊髄反射に拡散するな。マンモスを食うと死ぬかどうかは食ってみればわかることだ。私が喰う。全て毒味する」。  情報は本当なのだろうか。疑っている人間は少ない。愉快犯かもしれないし、本当にそうであるのかもしれない。混乱の元になっているのはなんなのか。ちょっとした情報で、命取りになることもある。事態が切迫すればするほど。一瞬の判断が命を分ける瞬間は来るかもしれないし、来ないかもしれな

遠く離れて もう一つの話

 彼がもうすぐ帰ってくる。宇宙から。今、あの地平線にいる。あそこが輝いて見えるのは、彼がいるからかもしれない。もうすぐ彼と会えるのだ。  この数年で私たちは変わってしまった。少なくとも、私は変わった。定期的に連絡を取り合うといっても、毎日とはいかず、あくまで定期的に、である。彼はそうすることを望んだが、私はこの数年とても忙しかった。宇宙勤務のように定時に全てが済むわけでもなく、毎日違ったことをし、毎日違う一日を生きている。それでも、彼との関係は変わっていない、そう思いたい。逢ったらすべてわかるのだろう。  宇宙から帰った彼はひどく疲れていた。コップを何個も割ってしまったし、重力というものの不便さを笑っていた。彼はこの重力に慣れるより先に、また宇宙に戻る。束の間の地球。  彼も私もそんなに変わっていないように一見みえる。しかし私たちの関係はそれ以前とは違うような気がする。この数年保たれていたように見えていた関係は変質してしまっていた。以前がどうであったかなんて、よく覚えてもいないし、表面上はうまくいっているように見える。だけど、彼もやはり変わったのだと思う。  どう変わったかは、はっきりわからない。私だって変わったし、お互い様かもしれない。  それでも私は彼のことが愛おしいし、彼も愛情を示してくれる。それを私は受け入れる。人は変わりつつ、そしてその関係は変わらないものなのかもしれない。互いが対応しつつ、変わらないように、この壊れそうな何かを必死に守っているのかもしれない。みんな、そうなのかもしれない。なにかを飲み込まない関係なんて、ありえないと、私は思う。  私はただ待つだけ。  彼が宇宙に帰る日が近づいてきた。こんだけ宇宙にいると半分宇宙人だ、みたいな話を彼が笑いながらした。そうなのかもしれない。私の愛する人は宇宙人なのだ。ワレワレはみんな宇宙人であり、地球人だ。空と宙の境界がなくなって何年も経つ。容易に行けるようになった宇宙。どんなに身近になっても、私と彼を隔てる距離には違いはない。  あのひかりの一つに彼はいるのだ。輝き以上に明るく見えるのは、彼がいるからだ。とても美しい。彼に見せたい。  参照 遠く離れて https://otona-to-kodomo.blogspot.com

遠く離れて

 ときどきなんで自分がここにいるのかわからなくなる。ここは不便ではないし、困ったこともほとんどない。むしろ生活空間としてはとても楽なのだけど、しかし何かが足りない。  宇宙に来ることが当たり前になっても、全然ここに慣れない。この宇宙という異空間は、何億年も前からずっと変わらずにあるのに、人類にとってはまだ慣れない世界だ。初めて人が宇宙に飛び出てまだ100年も経ってないけれど、まだ宇宙で暮らすということは、人類にとって特別なことなのだ。  こんな時代になっても相変わらず人は人を愛して、あるいは憎んで、その命はゴミのように扱われたり、太古と同じように丁重に扱われたりしている。どこにいたって、人間というものは変わらないみたいだ。  ここに暮らして一年になるが、宇宙の一年も地球の一年も、変わらず長いようで短い。振り返ればあっという間だが、先を見ると途轍もなく長く感じる。  いつになったらこの世界に慣れるだろう。この空間にも、生活にも、君なしの世界にも。定期的に連絡を取っているとはいえ、君に触れることは叶わない。どこか存在しているようで、非存在の気がしてくる。プログラミングされた君とどこかで入れ替わったとしても、僕はそれに気がつく自信がない。君を君と疑ってしまうことほどの不幸を、僕は知らない。  こんなに星々が綺麗なのに、僕は孤独だ。独りなんだ、どこまでも。どこまでも続くこの宇宙で、僕は孤独に震えてる。君に逢いたい。触れたい。抱きたい。キスしたい。ここにいる仲間たちは、君の代わりになれそうにない。君は、君なんだ。    宙から見た地球が美しいのは、そこに君がいるから。あの灯の一つは君が点けたひかり。僕はこうしてここでそれを見てる。すごく美しい。君に見せなくては。  ここには何もないし、誰もいない。君に逢いたい。

月という女性

 目の前に月のような女性がいる。どう言い表したらいいのかわからないのでそう形容するが、まるで月のようだ。  ただ明るいという意味でなく、夜空を照らす暗闇の中に明かりと陰を持っている。パッと輝いていると思う一方、きちんと闇も持っている。  ただ美しいというわけではない。凛としているといえばいいだろうか。私が月に感じる何かを、この女性からも感じる。  暗闇に浮かぶ月。この女性が闇夜にいたならば、月のように光り輝いているのではないか。月の太陽による反射の輝きのように、この女だって何かの光を受けて輝いているのかもしれないと思ったりする。己の力で光らないという儚さ。一度物に当たっているからこそ感じる優しいひかり。そういう類の優しさを、この人は放っているのかもしれない。  なんというか、この人そのものが優しいというよりも、この人の振る舞いが優しいのだ。この人に関わったなにもかもが、優しく私の元に届く。その妖艶な風貌だけでなく、立ち居振る舞い、仕草、言葉の発し方、彼女を構成する何もかもが、月を思わせる。  月のように美しいおんな。  真昼の月を見たことがあるだろうか。白い月。夜とは違った表情の月。どこかあっけらかんとしていて、その存在はすこし薄い。私は見つけるとうれしくなる。陽の光にも埋もれない。自分で光っているわけではないのにその光を失わない。他者がいるから自らが輝けるのだという持念。満月が昼間に見えないように、この女性も昼間にはどこか欠けているのかもしれない。夜こそが彼女の時間。独壇場。夜だからこそ、その妖艶な輝きはいっそう増すのだ。  月がわが惑星に影響するように、この女性もきっと私に影響を及ぼすだろう。この人が存在しているというだけで生まれるその波動は、私を捉えて離さない。雲が出れば、月は見えなくなってしまう。しかし確実にわが惑星に影響している。そこに変わらず存在しているからだ。この女性も、そこに存在しているというだけで影響を及ぼす女性なのだと思う。本人は意図しなくとも、男を変えてしまう魔性。  月に入れ込むことは、わたくしの気を、狂わせる。    ※この文章はフィクションです。

コンプレ

 この二人、父娘である以上に似ている。大方は娘が真似ているのだ。離れて住むようになってそれは顕著になった。娘が好きになる人も皆自分の父親にどこか似ている。多くの女性がそうであるように、娘は自分の父親の面影を男性に求めている。それが一番近しい異性としての男であり、それはつまり一番目に触れてきた男である。遺伝子上の重なり以上に、共に暮らしてきた男に似た人に惹かれるのは当然かもしれない。  父の好きなものはたいてい娘も好きになる。父の憎むものは娘だって憎む。娘はコーヒーが好きだし、Tシャツは首から着る。まるで自分がないみたいに娘は父親のコピーである。父の言われた通り進学し、就職し、今日まで生きてきた。家を出るとき、すがるような気持ちだった。「結婚」という言葉を父の前に出すのが辛い。きっと父は泣くだろう。娘だって辛い。  娘はうまく人を愛せないのかもしれない。どこか父親がちらつくのだ。父に憧れもし、忌避もする。そうありすぎてはならないと思う。だが、いつもその面影を追い求めてしまう。  小さい頃から育てられてきた、という呪縛はおそらく一生解けないだろう。父の愛した人間と、父自身の遺伝子でできた娘。父の愛した人間と、父自身によって手懐けられた娘。ずっとわたしは父の呪縛の中に生きるのだろうかと、娘は思っている。父と似た男を愛し、父に認められた男と結婚し、父と似た人を産むのかもしれない。その人生が「父」であるのは、生まれさせられた時からの定めかもしれない。──父の呪縛。  この世の中のすべての女性がそうだとは言っていない。だが、父親を無視して一生を遂げる人間はいない。どこか、匂っている。それは、まず父が「男性」であるからだし、父親像というものを実父しか知らないのだから、当然なのかもしれない。  父親以外にも男はいる。この世の人間の半分は男である。この世には様々な人間がいて、それぞれの意志によって活動している。父親だけが男でない。それでも、父の呪縛というのはある。父親しか知らない女性はほとんど不幸かもしれない。  娘は、父のことを慕ってる。この歳になってようやく結婚を決意できた。それは父親とは似ても似つかないひと。父親の呪縛を逃れることができたのは、なぜなのか。結婚とは娘にとって、新たな父親を模索するか、父親に烏合するかの二択なのかもしれない。娘は新たな父親を模索した結果