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やるということ

 「君はそうしたいって言ってたけど、実際には何もしていないじゃない。なんで?」「……準備できてないから」「ふーん、それはいつできるの?」「そのうちに」「今そうしてるうちにできたんじゃないの、本当にそれをやる気あるのか疑問だよ」「やる気はあるよ。ただ今じゃないだけ」「その今はいつ来るのさ」  そう私が言うと彼は走って行ってしまった。大見得を切ってもやらない人間のことなど私にはどうでもいいことだ。それが息子だとしても。それが彼の人生である。できないとただ嘆いているだけなのか、実際にそれに向かって足掻いているのかは、見たらわかることだ。彼の生活には足掻いてるという素振りなどなかった。ただそうしたいと言っているだけで、それができるほどこの世は甘くない。そう言うことが見栄であるということもわかる。そして、彼にはおそらく無理だろう。ここで逃げている彼には、自分のやりたいことをやりきる胆力もないのだ。それが彼の人生である。  彼は明らかに私を避けるようになった。しかし、そこで避けているのは私ではなく、ただ自分のやりたいことなのだ。ふっかけてくる私から逃げるということは、自分のしたいことから逃げるということなのだ。「俺から逃げてもできないことができるようになるわけじゃないぜ」「……。」「やりたくない人間はやれない理由を探すものだよ。煽ってくる人間を遠ざけるし、どこまでも逃げるものだ」「……。」「君がやりたいなら、協力できるだろう。やらないならこのまま、自分のしたいことをできないまま人生を過ごしていたらいい。お前の人生は、俺の人生ではない」「やりたくないわけじゃないよ。ただ今じゃないだけ。今は忙しいし、準備ができていないから」「だから、その準備はいつできるの? 忙しくないときはいつ来るのさ。疲れていない時などないのだよ、人生には。いつだってお前は疲れているし、忙しい。黙っていて準備が整うわけでもない」「今すぐにやれってこと?」「やる気になっているときにしか人はやろうと思わないものだ。今この話題になって、ソファにふんぞり返っている人になら、できるんじゃないかと思うんだけど」「でも、疲れてるし……」「好機を待っていても、そんなものは一生訪れやしないよ。思ったなら、やるべきだ。やり続けるべきだ。そこに到達するまで。そうしない限り、できないことはできるようにはならないし、準備が整うことも

 僕たちは『箱』を介在させている。それでつながっているフリをしてる。日々。そこにはいろんなことがあるようで、何もないのかもしれない。会ったこともない人と、何かがつながっているような気になっている。日々。『箱』がなければそれは成り立たず、それを失った瞬間に、僕はいろんなものを失うわけだけど、それが人生の全てってわけでもない。でも、僕の一部であることは確かだ。  今夜も、あの人はそこにいるようで、いないようで。ときどき現れてはまた消えて。言葉や写真を表しては、いるようないないような。ときどき言葉を交わす。そうやって人とつながっているフリをしている、僕たちは。日々。  そこにはなんの繋がりもないはずなのに、なんだか親和しているような錯覚を覚えてる。その人たちは僕が危うくても不安でもたぶん力にはなってくれない。日々。そうとわかってるのに、僕はあの人たちに依存している。それはよくないことなのかもしれない。  ここに生きているという感覚を失っている。楽しければいいのだろうか。時間が埋まりさえすればいいのだろうか。気をふっと抜けたらそれでいいのだろうか。そういうことに人を使ってしまっているように思ったりする。  ただ僕は人とコミュニケーションを取りたいというだけで。そうやって寂しさを紛らわせてるだけで。人が呟いているのを見るだけで、言葉を見るだけで、写真を見るだけで、僕の中の何かが紛れている、ような気になってくる。そこに人がいるかもしれないというそれだけなのだ。その人が僕を思ってくれるわけでも、気にかけてくれるわけでも、ない。日々。なんでもない、日々。  身のあることをしなくてはならないのはわかってる、つもり。でも、実感としていま、そういう感触は全然ない。実体がない。  『箱』を介在させて、僕は独りをごまかしている。そこにはごまかしきれない何かがきっと在って、僕を苛む。どうしようもない淀みが溜まってる。鬱屈は晴れず、生は日々短くなってゆく。  人生をどうしたいのか、親身にならないと。このままで良いのだろうか。圧倒的に足りないことがある。できないこともある。やるべきことをやっているだろうか。やる前から諦めていやしないか。  少しずつ、一歩いっぽだ。日々だ。

ある恋のはなし

 出会ってすぐに想いを告げられたけれど、ボクにはそんな気は全然なかった。よく知りもしない人と付き合う癖はボクにはなかったのだ。昔から、付き合うまでにとても時間がかかる。相手のことをよく知りたいし、知ってからでないと、お話にならない。  その後、彼女を意識しなかったと言ったら嘘になる。想いを知ってる人と、一緒にいるのはなんとなく気まずかったし、なんとなく、自分が強い立場になってしまうのが嫌だった。でも距離を取るでもなく、普通に接するようにしていた。  出会って3年後にその娘と付き合った。ボクの方から、そう申し込んだ。あなたにまだその気持ちがあるのなら、ボクのそばにいて欲しいと。あなたが必要だと。  ふたりとも一人っ子だったことを意識しなかったわけじゃない。ボクはまだ若かったけれど、彼女はボクより11歳も年上だったから。彼女だって意識していたはず。二十歳過ぎたら年なんて関係ないのよ、と言ってた。お互い一人っ子とだとわかったのは、よく話すようになってからだ。そうなってくると、考えることを考えてしまう。  年上だから敬遠してたわけでもないし、顔の好みもボクにはどうでもよかった。ただ『よく知らない』ということだけだった。縁あって出会ったボクらだったけれど、それが繋がるのには、何年もかかったのだ。それでも関係が壊れなくてよかった。  出会って3年後に付き合ったきっかけ? 彼女とは職場で出会ったんだけど、彼女が辞めることになったから。そうなったら、なんだか突然に寂しくなったんだ。彼女でなければならなかった。そばにいて欲しかったから。彼女でなければダメだったんだ、とその時に気がついた。  その後、結局は別れることになるわけだけど、歳の差も、一人っ子であることも、関係なかった。なんか、ダメになってしまった。そういうことって、あるでしょう? 歯車が一つずれると、全部が狂ってしまう。関係なかったと思ってるのはボクだけで、彼女はやっぱり、意識していたのかもしれないけど。  それ以来、恋愛ってボクはしていない。出会いがないこともあるけれど、なんとなく簡単には恋愛できない年齢になってしまった。また恋愛するのには、時間がかかるだろう。恋愛で動くものが、自分の中にはある。そう知っているから、また動けるだろうと思ってる。

煩悶

──あの人、あの時、こんなこと言ってたわ。君のことを本当に愛してるのか、今の僕には解らない、って。これどういう意味? 愛してるかどうか解らないことなんてあるの?  ──僕にはあるよ、この人を本当に愛してるんだろうか、って。愛されてるから、愛さなくてはならないんじゃないかって、強迫観念みたいに思ってしまうことが。好かれると、自分も好きにならないといけない、みたいに思ってしまう。 ──そうなのかしら。私は真っ当に愛の表明をしてただけなんだけど、それってマズいことだったのかしらね ──そんなこともないけど、とにかく、好かれると好きになりやすいものだよ。振り向かなくても良いからずっと好きでいて良いですか? とか言われると男はコロッといっちゃうもんだよ。気にしないようにしても、気にしてしまうものだよ。どんなにその人が自分のことを知らないとわかっていても、自分がその人のことを知らなくても ──あー、それをナチュラルにやっちゃうのが、オンナってもんよね。態度でわかるもの、この娘あの人のこと好きなのね、って。目の輝きが違うわ ──態度だけで自分のこと好きだろうって感づく男はそうはいないと思うけど、そういう噂が周りまわって自分のところまで来た時にはもう落ちてるよ、大抵は ──ふーん。あの人も、そうだったのかしらね。私はストレートだったから。迷惑かけたのね ──迷惑ってことはないと思うけど。でも、愛してるかどうか解らないなんて、素敵ですね。その煩悶うらやましいな。 ──それが最後だったのよ、あの人とは。それきりよ。結局、愛してないことにしたのよね、きっと。 ──そう、かもしれません。でもそうじゃない理由で身を引いたのかも。自分の病気のこと知ってたとか。そういうこと、ないですか。 ──……。わかんないわ、もう、今となってはね。お別れよ。何もかも。

赦してほしい

 どうすれば、赦してくれる。何をしたら、何をしても、僕のことを君は赦してくれないだろ。欲しいものがあるってわけじゃないだろ。わがままじゃないってこともわかる。意固地になった君を溶かすものはなんなの。君の気に入りそうなこと探しても、どれも適わないって気がする。そういうことじゃないのだろ。  愛してるさ。  でも、それだけでもないのだろ。身体で示す。心で示す。それでも足りないのだろ。君はきっと赦さない。そんな気がしてる。  君はこのことの復讐を、君が幸せになることだ、と思ってるだろ。それでいいよ。君が幸せなら。僕はそれでうれしいさ。赦されなくてもいいのかもしれない。それはこっちの問題だから。ただ僕がすっきりしないってだけだろ。君が幸せならそれでいい。  振り向いて欲しいわけでもないし、君を奪いたい夜でもない。ただ君を幸せに『したかった』。でもそうはできず、僕はなんだか恨まれているような気になってる。  僕を赦して。君を愛せなかった僕を。  僕は自分だって愛せなかった。君はもう今は僕を愛してはいない。それはわかってた。そんな気がしてた。ただ恋に恋してる君に振り回されて。僕たちはもうメチャクチャで。自分を愛してない自分を基に、人に愛されるなんてできなかった。だから。  だから、僕は自分と同じように、君を愛さなかった。愛せなかった。そのことを詫びたい。かといってもう何ができるというわけでもないけれど。赦してくれるなら、きっと、何かが僕の中で晴れるだろう。天晴(あっぱれ)さ。  君と僕はもう関係なく生きていて、君はきっと幸せで、僕はたぶん不幸せで。これで君の復讐は成っている。だから。  だから、僕をもう赦して。僕を解放して。僕の中の君にそう言いたい。止まった時は、きっとこのまま動き出さない。そうさせているのはたぶん僕自身で。僕の中の君で。  きっと、君の海の中にずっといたいのだろう。君を想っていれば、幸せな気がするから。だから。  だから、僕は一人でいたんだ。そんな呪い。君はもう今の僕のことなんて知りはしないだろ。僕の中の君がそうしてる。もういいだろ。だから。

誠実であること

 ありがたいことに、意見をくれる人というのがときどきいてくださる。自分から意見をして欲しいと頼むこともあるし、相手の方から意見をくれることもある。意見かどうかもわからないこともあるし、感想だったり、愚痴だったり、あるいは悪口かもしれない。自分に対して言っているのかどうかも不明なこともあるし、そうではなくても、自分に対して言っていることとして受け止めるということもある。そういうことの方が多いかもしれない。変に被害妄想的にとかではなくてね。  そういう意見にもさまざまあって、その人自身の身を砕いて話してくれるという人もあれば、なんの責任も持たずただ言ってるだけということもある。自分を賭けて、あるいは自分を負って話してくれる人というのはすぐにわかる。私のために身を砕いてくれる人は、本当に有り難い。  実際に知っている友達に相談することと、ネットの知り合いに相談すること、そしてネットで知らない人にぶつけられた言葉には、どれも大きな隔たりがある。どのくらい話者の人格を賭けて、負って喋っているか、という違いでもあるし、どのくらい被話者(わたし)のことを知っているかという違いでもあるのかもしれない。  そこにはたぶん、人間関係の距離感というのがある。負っている人の距離感は近いし、そうでない人は遠い。私のことをそんなに知らない人はとても遠い。それなのに親密であるかのように振舞われると違和感を感じてしまう。中途半端な時が一番難しい。長年知った友達でも、しばらく交流がないと距離感を図るのが難しかったりする。  アドバイスは相手をどれだけ知っているか、そしてどれだけ自分を砕いて、負って話すか、によるのかもしれない。どんなに考えを尽くしたとしても、知らない相手に安易にアドバイスすることはできないし、責任を持たないアドバイスには何の意味もないと私は思う。それが、けしかけるようなものであれば尚更。無責任にけしかけることほど迷惑なものはない。  自分自身に対して何か言葉を内声的に発することも実は同じだと思う。自分に対しての言葉に責任を負わないというと変だけど、砕いていないということがままあるのだ、私には。適当に考えてると、たいてい失敗する。自分に対して無責任なのだ。その無責任さの負債は自分で負うわけだけど、そういう人間は何をやってもダメなのだと思う。まず自分がどういう人間であるのかを知

向き合うこと

 そこに行くとあなたは感じるだろう。死の匂いを。病室に入った瞬間に、彼の体調が芳しくないとわかる。陰気な雰囲気がある。  あなたは病室に入りたがらない。僕だけが入る。話しかけると彼は目を閉じたままうなずく。とりあえず意識はある。しかし、意欲はない。ここ数日なにも食べることは許されず、ただ病室で横たわっているだけの彼。こんな夜をどう過ごしているのだろう。死の影を感じたりしているのだろうか。  あなたはため息をつく。これからどうなるのかわからないでいるのかもしれない。転院を繰り返し疲弊しきっている。少し思い詰め過ぎているのだ。気を抜かなくてはならない。  あなたは病院にはなるべく行きたくないのだ。弱々しい彼を見たくないから。元気な彼であったなら、足取りも軽い。しかし、今はあなたの足に碇がついてしまってる。  立ち込める匂いに、あなたはたじろぐ。もうここに居たくないと思う。せめて僕はしっかりしなくてはならない。へっちゃらでことを進め、彼に話しかける。彼はうっすらとうなずく。あなたは入り口に立ち尽くしている。目を閉じた彼にあなたの存在を知らせようと僕は気を使う。  そこでようやくあなたは部屋に入り、彼に話しかける。彼は意思を蕾んだまま、そこにいる。応答はそれほどしない。あなたは怯えた声を出している。今にも消え入りそうなか細い声。これが彼に届いているのかもわからない。ただ私には聞こえた。  励ましもせず、慰めもせず、体に触れもせず。ただ「今日は無理だよ……」というあなた。「帰ろうか」。  今日は彼の体調が悪かったのだ。  いま目の前にあることから目を背けたくなる気持ち。向かい合うことは苦しいことだ。そして、逃げることはどこまでも簡単なことだ。  あなたといえども逃げ出してしまうほどに、死は尊い。そこには誰も立ち入れない。そこは、彼だけの聖域。向かって行くその場所を、いまきっと見定めている。  見つめてる。立ち込める匂いを。自尊心を。尊厳を。