人の感じる幸せというわたしの幸せ

 人がいること。
 その存在、その思考、そのしぐさ、その思いやり、そして、その匂い。
 きみの瞳、きみの出す音、きみの感触、きみの嗜好、きみの内、きみの外。きみのすべて。
 あなたの笑み、あなたの困った顔、泣き顔、怒り顔。それからうれしそうな顔。
 きみといることは、煩わしいことであり、そして同時に愛おしいこと。
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 あなたがあなたを失っても、わたしはわたしでいられるだろうか。
 わたしがわたしでなくなっても、きみはきみでいてくれるだろうか。
 わたしがわたしである理由なんてないのと同じように、あなたがあなたである理由はなく、ただわたしはわたしとしてあり、あなたはあなたとしてある。
 そこにはたぶんなんの因果関係もなくて、ただそういうものを感じていたいだけなのだ。
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 人が人といる理由なんて、きっと些細なことで、親子とか、兄弟姉妹とか、夫婦とか、そんな縁だって、ひょんなきっかけで簡単に消え去るのだろう。愛おしいとか、煩わしいだとか、そんなことを打っ棄って、ただわたしは生きている。
 どうすることが最善なのか、思考停止している。瞬間瞬間に間違えている気がしてならない。なにが自分にとって正しいのかさえ、わたしには思考する余地もなく。ただ言い訳としていろんなことを持ち出して、わたしは、生きてしまっている。
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 本当に一人になったことがないから、わたしは独りを知らない。それを知らないという劣等感をわたしは持っている。ここには敵も味方も、批判も賞賛もない。ただわたしが語るなにかが虚空に垂れ流されているだけだ。
 わたしは誰にも語らず、しかし、一人ではない。そのことの幸福を? それは思考停止したまま受け入れても良い幸福なのだろうか。
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 どういうわたしがわたしとして幸せなのか。あるいはどういうあなたがあなたとして幸せなのか。
 わたしはあまりにも人生を知らず、知ろうともせず、のほほんと生きてしまっている。
 わたしはわたしを尽くさず、切磋せず。ありもしないことに怯え、恐れ、逃げている。不甲斐ないと上段振りかぶっても、魅力的になるわけでなく、ただただ情けないだけだ。
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 わたしはあなたにとって必要な人となりたい。あなたの幸せとなりたい。それがたぶんわたしの幸せである。自分の存在意義を、誰の子としてでもなく、誰の兄弟姉妹としてでもなく、誰の配偶者としてでもなく、ただわたしの幸せのための、幸せのために。人がいるということの愛おしさと煩わしさを、わたしは、知っている。それはその人の感じる幸せというわたしの幸せなのだと思う。

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