つぶやこうと思って書いたのだけど、そうはしなかった言葉たち(2月版)
人生における諸問題は山積みだけれど、それだってきっとなんとかなるはず。恵まれてる部分を思いつつ、やれることからやってく 考える方法を知りたいのだ。あらゆる知恵から、その発想、考え方を抽出する方法を知りたい 毎日書いた方が、健全だ、という感じはある。あるけど、何を書くかというのはとても大事なのだとも思う たぶんだけど、 潜在的 に書きたい、字で表現したい、という人はたくさんいるんだと思う。けれど、それを実際する人は少ないのではないか この世にあるものの、どれだけのものが、あらかじめ決めて用意周到に作為的に作られたものなのかって。 ジブリ だって 任天堂 だって、行き当たりばったりなところは多分にある気がする。 大事なのはその場で反応してくことなんじゃないか。ジャズの即興のように わたしは何もかもが浅はかだと思う。考えがいつだって甘い。すこしはマシになりたいのだが パントマイムの練習をしようと思ったこともあったのですが、その ナルシシズム というか人に見られる感じを想像したら耐えられなくてやめました。視線恐怖とかそういうことでなくて、目立ったり注目されるのが苦手。。自意識過剰ですかね わたしは何事も判断が遅い気がする。。もう少しキビキビ判断するようにしたら、いろいろ変わるかもしれん 説明的なことは書くことはできるような気がするけれど、隠したりあえてわからないようにすることは不得手というかできない。そういう美意識がない。 私の書いたものを読んでわからないところがあるのだとしたら、思考が至らず、説明できていない、表現できていないにすぎない。 好きだとか、愛してるだとか、それだけじゃダメなんだ。気持ちを実態として表現しないことには、それはないのと同じなのだと思う 教室の、端と端で目が逢うみたいに僕らはつぶやいている どんなニュースでも、自分と少なからず関係があるからニュースしてるわけで。というか日本に生きてる限りは関係ないことはないのだとも思う。だけど目を背けたいというか関係ないと思いたい気持ちもある。→ →どんなことにも教訓を求めようとしてしまう傾向が自分にはある気がするし、それだけで頭一杯になってしまうし、荒むし。 いつまでもしゃべれないふりをしていると、本当にしゃべれなくなるよ 社会の中で人と関わるとかうまくやっていくノウ ハウ というか感覚は...